表装のこだわりッ!!

「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第5回「文化財のかたち-表装のいろいろ」が、2月23日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。

「表装」・・・皆さん聞いたことはありますね?!日本人の「和」の心を表現しサポートしてきた非常に重要な匠の技です。一般には
  ・表装・表具・・・紙や布などを貼って、巻物・掛け軸・帖・屏風・ふすまなどに仕立てること。
  ・装潢・・・和紙の染色や紙継ぎ、裁断などを行うこと
  ・装丁・装幀・装釘・装訂・・・製本の仕上げに書物の表紙・扉・カバーなどの体裁を整えること
などの言葉があります。

作品の取扱や利用に便利なように、また作品を保護し美しく整えるため、これら匠の技が活かされているのです。

もともと人々は大切なことや人に伝えたいことなどを様々な形で残そうとしてきました。

文字の記録媒体として
 ①金石・・・金属や石に文字を刻む
 ②竹・・・竹簡。特に東洋において紙の発明・普及以前、書写材料として使用
 ③木・・・木簡。文字などを書き記した木の札
 ④絹・・・紀元前3000年ごろに生産が始まり、服飾用だけでなく、記録媒体としても用いられた
 ⑤紙・・・中国の「後漢書」の中で、105年に蔡倫が和帝に紙を献上したという記述があることから、
       紙の発明者が蔡倫だとされたこともあった。
       現在では、蔡倫は紙の改良者であるといわれることが多い
 ⑥貝多羅葉・・・椰子の葉を利用し写経などに使用した

これらはいろいろな形に加工?!されます。文化財の形あれこれです。
講座では白い紙を利用して“実習”!理解が深まります。

竹簡・木簡・・・紐で綴じられ、ばらつかず持ち運びが便利になる。
     難点:かさばる・・・不便・・・
          ↓
巻子(かんす)・・・料紙を継いで長くし(「継紙」「続紙」)、表紙と軸をつけたもの。巻物。
          (巻子の上手は右、継ぎ目は右が上に重なるように)
     難点:読みたいところを見るためには、ダーッと全てを広げなければならない・・・面倒・・・
          ↓
折本(おりほん)・・・継紙を蛇腹折りにし表紙をつけたもの。
         (お坊さんが経典の折り本を「転読」する
         映像がよくテレビで放送されますね)
         なるほどすぐ読みたいところが読める!
     難点:裏側は真っ白。もったいない!紙は貴重!
          ↓

粘葉装(でっちょうそう)・・・一紙一紙を折りたたみ、
         背(袋となる側)を糊付けしたもの
         表裏に字が書ける!巻子・折本と比べて
         画期的!
          ↓

綴葉装(てっちょうそう)・・・何枚かの紙を束ねて折りたたみ
         さらにそれを重ねる(合本?!)
         たくさん書ける!素晴らしい!
          ↓

袋綴(ふくろとじ)・・・表にしか字を書いてない。
         文章量が少なくても本に厚みができる。
         木版印刷の普及→両面印刷は難しい

         =紙の普及によって余裕ができた
           (ある意味ぜいたく~)

このように、本は人間の都合のいいように、さまざまに改良されてその形を変え、発展してきたのですね~。人間ってと~っても“かしこい”です!

ではでは、いよいよ実物を見て解説を聞きます。

←巻子




    袋綴の本→
掛け軸では、いろいろな部位の名称(本紙・一文字・中回し・上下(天地)・露・軸先など(これでどの部分か分かる人はかなり通!!)を教えて頂きました。

「花鳥図」(中林竹洞筆)
見事なキジが描かれてますね~いやいや、今回はその周り、「表装」を見るんです!
こちらの掛け軸、本紙(絵の部分)に折れが目立ち、多数の糊浮きが見られたことから、平成17年に専門家によって修理が施されています。その時、恐るべきこだわりが!

①絵を囲っている総縁(赤い縁)がもともと薄い水色だったのを、キジのおなかの色に合わせて赤色にした。が、同じ赤にしたのでは絵が目立たない→周りはトーンを落とした落ち着いた色合いに→赤く染めた生地を更に藍で染めて渋い色にした!なんと細かい職人技!!

②一文字(絵の上下/紺地に金色の柄がある部分)には、古い紗の着物を解き、染料で紺色に染めたものに印金(金箔の型押し)を施した→金箔と図柄に素朴な趣がでて全体としてキジの悠然とした表情を引き立たせる効果が得られた!確かにシブい!!
いやぁ驚いたのはこのような注文を出せる学芸員さんの感性の鋭さと、それに応える職人さんの技!なんとも素晴らしいです!

「泉福寺焼経」
こちらを展示した時、参加していた奥様方から「あら~」「まぁ~」っと、うっとりため息が・・・

焼けてしまった経典を改めて表装し直したものです。

表具の裂の取り合わせもさることながら、小さい本紙を活かすための台による空間美が素晴らしい一品です!

表装の仕立てひとつで作品の印象が大きく変わります。普段、博物館で絵や書などの文化財を見るとき、そこに描かれている、書かれているものばかりに目をうばわれず、これらを引き立てる表装にも注目したいものですね。日本人の心の粋、先人の知恵を感じたいものです。

さて、次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「幽玄の神々-神像と信仰具-」と題し3月29日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。

では、ここで前回(第4回)の答え合わせを!
さて、こちらのよく似た絵、どちらも「横井金谷」の作とされていますが、実はホンモノとニセモノ・・・どちらが贋作かわかりますか?
答えは!あなたの真贋の目はいかがだったでしょうか???

間違えた人も気を落とさずに!自分が気に入ったらそれが
ホンモノ!位の気持ちで!(私は間違えた!!!)

奥深い近世絵画の魅力、これからもホンモノを見る目を養ってくださいね。
ではでは、ここで、質問です!
今回の講座でも大活躍したこちらの道具は何をするものでしょう?!
参加された方はもうお分かりですね?!(カブトムシではありません!!)
答えは次回・第6回のブログで紹介します。

  


見分けられる?!近世絵画の真贋

「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第4回「近世絵画の楽しみ方-その真と贋」が、1月26日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。





「狗子図」円山応挙 筆
「近世絵画」とは一般的に「江戸時代の絵画」のことを言います。ただ一般に言う「江戸時代」は政治史と文化史ではその区切りに若干のズレが生じますので、ご注意下さい。
政治史・・・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
       慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍に任ぜられる
美術史・・・慶長年間(1596~1615)は桃山時代
       元和元年(1615)大坂夏の陣を境に江戸時代と定義

また、江戸時代絵画は大きく分けて前・後期に分けられます。
       →・前期:元和・寛永から宝永・正徳(17世紀)
         ・後期:享保から幕末(18世紀から19世紀半ば)
年号は作品の中に記されることが多いですから、チェックしておくと役に立ちますね。(私が覚えているのは寛永と享保くらい・・・)

江戸絵画の特色は想像力(イマジネーション)写実性(リアリズム)の融合!
想像力・・・あり得ないもの、実際に存在しないものを、想像によって描き出す。(古来より日本画の
       特質)例:やまと絵の引目鉤鼻・吹抜屋(源氏物語)・動物の擬人化(鳥獣戯画)・地獄極
       楽(六道絵)など
写実性・・・現実をあるがままに描写。写実的要素の強い花鳥図を得意とする清の画人沈南蘋(し
       んなんぴん)の来朝、正確な銅版画、動植物図譜など、海外からもたらされた要因が大
       きく作用した。

 江戸前期では、公家武家の力を背景にした二大勢力狩野派・土佐派が活躍する一方で、一般庶民の力も画壇に大きな影響を与えます。京都では、強力な経済基盤を背景に台頭してきた裕福な町衆が俵屋宗達を祖とする琳派を形成、またもっとも庶民的な立場からは浮世絵が起こり、いずれの流派にも属さない町絵師たちが風俗画(庶民の日常生活の様相そのもの)を描きました。
 かわって江戸後期は、長期にわたる世の中の不況が画壇においても影響を与えます。久しく画家不作の時代が続きますが、この停滞から抜け出すため、海外の作品に刺激を求めます。鎖国という体制の中で、、中国(南宗画)・オランダ(西洋絵画)の影響を受け新しい写生画法が画界を刺激しました。京都では円山応挙の写生派や伊藤若冲曽我蕭白らの奇想派が活躍します。この時代は、浪漫主義の時代。池大雅や与謝蕪村は中国文化という浪漫の虜となり、応挙にとっての写生、蕭白にとっての曽我派、司馬江漢らにとっての西洋、歌麿にとっての美人、写楽にとっての歌舞伎役者も一つの浪漫でした。できるだけ自由でありたい、因習的な形式や方法にこだわらない自由を求める画風が江戸絵画を彩っていきます。

 また、公家や武家、また大きな商いに成功した町衆の中には、海外との貿易に乗り出す者もあり、有名画家たちの作品を売買する者も現れました。独特の画風を持つ日本画は海外でも人気があり、珍重され高価に取引されることから需要が高まり、有名絵師の作品だけでなくその弟子たちが描いたものや、無名絵師による多くの「贋作」も取引されるようになりました。これらも含め江戸絵画は世界に広まっていったのです。時代に求められた「善意の贋作」、それらが今逆輸入?!され、私達の身近(骨董屋など)に溢れているのです。

講座では、その参考作品?の一部を見せて頂きました。
「寿老人図」狩野 探幽 筆

((楽しみ方))
狩野派の絵は粉本主義といって、テキストのようなものが完備されているため、絵画様式が大きく異なることはありません。木の描き方、人物の描き方の特徴をつかむ事により一般の方でも用意に狩野派であると見分けることができます。

「狗子図」円山 応挙 筆

((楽しみ方))
円山派の絵は、狩野派とは異なり、徹底した写生に基づいているため、子犬がじゃれ合う絵なんか見ていると、自然にその絵に引き込まれ「かわいい」と無意識につぶやいている・・・そんな絵ですね。

「山水図」紀 楳亭 筆
((真と贋))
近世絵画の画家のほとんどに「贋物」があると思っていいでしょう。この絵は両方とも紀楳亭の「山水図」です。
どちらかがニセモノですが、よく比べてみるとどことなくその違いが見えてきます。
しかし実際には、こうして両方並べて見ることは難しいことです。ですから、博物館・美術館などで本物を多く見るということが大事です。
           ちなみにこの絵は向かって左が本物、右が贋作なんですよ。

では、ここで<実力テスト>
さて、こちらの絵画、どちらにも「横井金谷」の落款があります。横井金谷の作品も上述と同じことが言えます。人は贋作を作るとき、どうしても筆に迷いが出るというか、描く線は形をなぞるだけで、のびのびとした力強さがなくなります。心理的な面が出るのではないでしょうか。
そんなところも見てゆけば、楽しいかもしれませんね。

・・・で、この作品、どちらがホンモノでしょう???講座に参加した人はもうお分かりですね?!
答えは次回・第5回のブログで紹介します。

あれれ???そう言えば・・・琵琶湖文化館さん、何故「贋作」をお持ちですか???
講師先生曰く、「文化館の歴史の中でご縁あって持ち込まれたこの作品、贋物であるからと言って処分するでなく、今回のような学習材料として残している。かと言って私達専門家の真贋、見る目も完璧とは言えません。一つの教訓、戒めとして所有しています。」
ナルホド・・・先生方も勉強なさるんですね~

そこで、私達が世に多く出回る「贋作」に手を出さない、見分けるためにはどうすればいいか、助言がありました。
・・・それは・・・「本物を多く見ること!」・・・これしかない!・・・そうです。
あぁ、やはり鑑定師への道は遠かった・・・

「だからこそ、多く博物館や資料館へ出かけて本物を見る目を養ってほしい。文化館では常に多くの“本物”を展示している。(決して今回の贋物が展示ケースに並ぶことはありません)安心して見て行ってほしい」と仰ってました。
ほんとそうですねぇ~たくさん見て、勉強して、自信を持って、本物を手にしてみたいものです!
            (展示室でホンモノを勉強する参加者たち)
さて、次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「文化財のかたち-表装のいろいろ-」と題し2月23日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。

第3回「近江の観音-慈悲の仏-」答え合わせ:「大笑い」されているお茶目な方は:滋賀を!日本を!代表する国宝【木造十一面観音立像】(高月町 向源寺)の後頭部大笑面(暴悪大笑面・笑怒相ともいう)です。一度見たら忘れられないお顔ですね~



  


観音さまの魅力

「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第3回「近江の観音-慈悲の仏-」が、12月22日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。参加40名の中には和歌山県からお越しの方もあり、感心の高い熱心なファンの方々が受講されました。

冒頭、講師の榊学芸員が「本日これだけ多くの方々が講座にお越し下さったのは、私(講師)の魅力ではございません。近江の観音さまの魅力が、多くの方々に愛され、皆さんを惹きつけて止まないということです」と、ご挨拶されました。・・・なるほど・・・いやいや、なかなかのものでございます?!

はじめに、近江にはどのような観音像があるのか、お話されました。国宝1件・重要文化財101件・県指定文化財11件が、県内各地に分布しているということです。特に県内で重要文化財に指定されている彫刻375件の内、101件が観音さんであるというのですから驚きです。以前、東京に住む知人に「滋賀といえば何を想像する?」と尋ねたところ、「観音さん」との答えが返ってきました。ナルホド「滋賀に観音アリ」と言われるゆえんも納得です。(地元にいる私たちの方がその有り難さに鈍感になっているのかもしれませんね。)

観音さまは主に湖北・湖南地域を中心に、平安時代(古い!)のものが数多く残っています。
なんと言っても有名なのは
・国宝『十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)』 高月町:向源寺(渡岸寺)        <昭和28年3月 国宝指定>
昨年東京国立博物館で、この十一面観音さんが展示された時には、そのお姿を見るために長蛇の列ができたとか。「滋賀に観音アリ」と言わしめたこの仏像、すらりと伸びた手足とわずかに腰を左にひねる立ち姿、流麗に刻まれた衣文など、平安時代前期の美意識を強く表した日本を代表する観音像だということです。素晴らしい!

心なしか、この観音さまを説明する榊学芸員の顔もうっとりとしてました(笑)
・重要文化財『観世音菩薩立像(かんぜのんぼさつりゅうぞう)』 大津市:石山寺
おいたわしい姿の観音さま。戦後盗難に遭い、頭部が失われてこの姿に。頭は大きめに造られていたことが分かっており、童子のような印象で、腰を右にひねって立つ姿は美しく、近江の奈良時代後期を代表する金銅だそうです。
現状の大きさ60.3cmと小さめのお像ということですので、もし残っていればとても柔和な表情のお顔が拝めたかもしれませんね。
滋賀の宝を返しなさい!
・重要文化財『十一面観音坐像(じゅういちめんかんのんざぞう)』 甲賀市:櫟野寺(らくやじ)
 櫟野寺には、本尊十一面観音坐像を筆頭に、七件の重要文化財を含み、大小二十体以上の仏像が伝来しています。
 中央の厨子(ずし)内に安置される秘仏十一面観音坐像は、国内最大(312.0cm)の木彫仏として有名で、滋賀県を代表する仏像の一つです。伝教大師最澄が、霊夢を受けて、櫟木に十一面観音像を彫ったものと伝えています。

いやぁ滋賀を代表する観音さまたち、写真映像で見ただけですが、さすが緊迫感があるというか、荘厳さがありました!(ブログをご覧の皆さまにはシルエットでご勘弁いただいております)

ちなみに私たちは普段「菩薩さん」「観音さん」と呼んでますが、その意味ご存じでしたか?

菩薩(ぼさつ)はサンスクリット語で、
    Bodhisattva(ボディーサッタバ) :偉大なる志を持った求法者 という意味。
    中国で経典を翻訳するときには音を取って、「菩提薩埵(ぼだいさった)」と訳されました。
    それぞれ菩提はさとり、薩埵は生ける者を意味しています。
悟りを得るために修行をする者で利他行(他人に対して慈悲の行を行い、自らの修行とすること)を行う修行者をいいます。紀元前後に大乗仏教が成立する際、大乗仏教の修行者達は自らと部派仏教(小乗仏教)の修行者である阿羅漢や声聞とを区別するために新たな称号を作り、名乗りました。ですので、菩薩は実在の人物をさすのです。

観音(かんのん)はサンスクリット語で、
    Avalokiteśvara(アバロキーテーシュバラ)といいます。
    意味は、Avaがあまねく、lokiteが見る、śvaraが自在なる者という意味です。
    すなわち観音さんは文字を組み合わせて作られた名前であり、架空の存在であるということが
    分かります。
中国で観音さまは二つの名前で翻訳されました。
 『法華経』を訳した鳩摩羅什は、経典の内容から「観世音菩薩」と訳しました。一方、西遊記でおなじみの三蔵法師玄奘は、文字の意味から「観自在菩薩」と訳しました。

ですので、観世音も観自在も正しい名前なのです。しかし、観音信仰の中心となった経典が『法華経』でしたので、「観世音」の名が一般的となりました。

さらに、観世音の「世」の字は、中国唐代の第二代皇帝・李世民の諱と同じ事から避諱され、「観音」と呼ばれるようになります。今でも観音の呼び名が一般的なのは、我々日本人の仏教が奈良・平安時代に唐から請来されたものでしたので、いまでも観音と呼ばれているのです。歴史の繋がりを感じますね。

ちなみに講座では、観音信仰の基本となった『法華経』をみんなで読んでみました。経典の内容なんて考えたことがありませんでしたが、実際に読んでみると意外とわかりやすく、物語のように描かれていることが分かりました。

お釈迦さんに弟子が観音さんの名前の由来や、救済の内容を訊ねると、釈迦は丁寧に説明をします。観音はどんな世界であっても、一度その名を唱えれば、すぐさまやってきて、大火や大水などの苦難から救済してくれます。
 
救済の場面に応じて様々な姿に変身してやってくるので、隣にいる友達も実際は観音さまの変化した姿かも知れませんね。
      
その救済の姿が三十三の姿(「三十三身」)に変化することから、三十三という数字との深い縁ができました。有名な『西国三十三ヶ所巡り』は日本でもっとも古い歴史を持つ巡礼の行ですが、これもこの観音菩薩の三十三身と関係があります。
県内には
  第12番 岩間山正法寺(大津市)    第13番 石光山石山寺(大津市)
  第14番 長等山園城寺(大津市)    第30番 厳金山宝厳寺(長浜市)
  第31番 姨綺耶山長命寺(近江八幡市)  第32番 繖山観音正寺(安土町)
があり多くの人々が参拝に訪れています。

古く飛鳥時代から行われた観音信仰ですが、密教の伝来によって「現世利益」(いま生きている世の中での救済)の仏像として各地に造られました。観音像として実際に造立されるのは主に「六観音」と呼ばれる密教系でしたが、浄土信仰とも一体化し、六道救済(死後の世界:地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)の尊像として多く造立されるようになったようです。
<聖観音(しょうかんのん)>六道では地獄の救済
特に左手に未敷蓮華を執り、右手を添える姿の聖観音像は、慈覚大師・円仁が請来した姿であり、「横川式聖観音」ともいうそうです。
延暦寺、乗念寺、金剛輪寺など

(大津市 延暦寺横川中堂本尊)
<如意輪観音(にょいりんかんのん)>六道では天道の救済
お顔が1つで、手が6本、右膝を立てて左足裏を踏む姿
女性救済を司る観音としても信仰を集める
園城寺、石山寺、百済寺、井上区など

(栗東市 井上区)
<准胝観音(じゅんていかんのん)(真言宗)
 不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)(天台宗)>
六道では人道を救済
県内には少なく、黒田観音堂の伝・千手観音立像が当初は准胝観音として造立されたと推察される。

(木ノ本町 黒田観音堂)
<千手観音(せんじゅかんのん)>六道では餓鬼道を救済
「千手」といいますが、実際に千本あるわけではございませんよ?!
1本で25の世界を救う×40本で1,000本!手にはそれぞれ眼があり「千手千眼観音」とも言われます。

園城寺、長命寺、福寿寺、日吉神社など

(大津市 延暦寺) 
                とっても珍しい「千手千足」観音さん
                         (高月町 正妙寺)
<十一面観音>六道では阿修羅道の救済
観音の威力を頭上の十一のお顔で表しています。髻(もとどり)の頂上には仏面(仏さま)のお顔があり、
向かって 正面の3つが菩薩面(やさしいお顔)
       左側の3つが瞋怒面(おこったお顔)
       右側の3つが狗牙上出面(むさぼりのお顔)
       背面に1つ暴悪大笑面(腹の底から笑ったらこんな顔?!)
向源寺、盛安寺、鶏足寺、正福寺など
(木之本町 鶏足寺)
<馬頭観音(ばとうかんのん)>六道では畜生道を救済
観音の中でも唯一忿怒(ふんぬ)の表情
3つのお顔と8本の手、頭上に白馬頭
馬を象徴とすることから、交易の観音として、祀られることが多く、若狭や湖北地方に多い
横山区、徳円寺、山門公民館など
(高月町 横山神社)

私、驚いたのが、曼荼羅(マンダラ)の中にもそれぞれの観音さまはご出演されているのですね。知りませんでした・・・


講座では、
 ・観音菩薩立像(長福寺) 1軀
 ・如意輪観音坐像(法蔵寺) 1幅
を見せて頂きました。

 この如意輪観音さん、永くお寺の屋根裏にその存在に気付かれず眠っておられましたが、調べてみると平安後期の貴重な作品だということが判明!あれよあれよという間に県指定文化財から国の重要文化財に指定されたという、文化財の宝庫・近江らしい経歴をお持ちの仏画でした(笑)美しく残る繊細なライン、平安のモノとは思えない鮮やかな色彩、重文に指定されたのも納得でした。


最後に、「なぜ近江には多くの観音像があるのか?」榊学芸員はこう解説されています。

観音さまは手に聖水をお持ちになり、水と関係が深い。近江は琵琶湖の湖上交易はもちろん、琵琶湖に注ぎ込む河川は豊かな恵みをもたらす水源として五穀豊穣を祈る農民の生活とも密接に関わってきた。多くの戦乱に巻き込まれながらも、平穏な生活を願う庶民の祈りは仏の慈悲にすがる切実な祈りにつながります。また、平安という古い時代の仏像が現在まで永く受け継がれてきたのは、惣村や土豪など、地方の自治制度が確立する中で、「地域の守り」として観音を崇め奉り、集団で守ってきたことにもよる。しかし、何よりも生きることの苦しみが多かった時代に様々な姿で人々の前に現れて人々を救済するという観音さまに、多くの民衆がすがったためと考えられます。

時の権力者が造立し、擁護されてきた仏さまもあるでしょう。一方で、地域の住民の手で守られ尊ばれて今に残る仏さまがあることを知り、少し嬉しく思いました。私たちの住む滋賀には私たちに近しい存在で「慈悲の仏」観音さまがたくさんいらっしゃいます。とても愛すべき近江であることを知りました。

ちなみに今回の講座は 1月14日午後9時~「教育ウィークリーリポート」(びわ湖放送) で放送予定です。

さて、次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「近世絵画の楽しみ方-その真と贋-」と題し1月26日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。

最後まで読んでいただいた「近江の観音」を愛する皆さまへ
こちらの「大笑い」されているお茶目な方は誰でしょう?!もうお分かりですね?
ヒント:滋賀を!日本を!代表する観音さまです。
 答えは次回、第4回のブログの中で!


参考文献)『近江の仏像』西川杏太郎 至文閣 昭和60年
   『魅惑の仏像7 十一面観音 滋賀・向源寺』毎日新聞社 昭和61年
   『東寺の両界曼荼羅図 連綿たる系譜-甲本と西院本』東寺宝物館 平成6年
   『近江路の観音さま』特別展図録 滋賀県立近代美術館 平成10年
   『聖武天皇とその時代-天平文化と近江-』特別展図録 滋賀県立琵琶湖文化館 平成17年


  


大津事件っっっ!


「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第2回「大津事件-事件とその後の顛末-」が、11月24日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。
「大津事件」・・・社会の教科書で習ったような・・・気もする?!という曖昧な記憶の方に!ヒント!



 さぁ、どうです?この顔に見覚えありませんか?

 最大ヒント:サーベル

事件は、明治24年(1891)5月11日、ロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、日本を私的に遊覧旅行していた時に、大津で起きました。
警備中の巡査津田三蔵ニコライサーベルで斬りかかり右のこめかみ2ヶ所に傷を負わせます。




<ニコライ歓迎の様子>
その場で捕らえられた三蔵は、滋賀県監獄所に収監されますが、裁判の結果、無期徒刑となり釧路集治鑑に送られ肺炎で死亡します。故郷の伊賀上野には三蔵のお墓がその身を憚るように小さく立てられています。
(裁判は大審院院長児島惟謙が、三蔵の極刑を望んだ政府の圧力に抗して、裁判の独立を守ったことで有名です)

 傷を受けたニコライは、近くの呉服屋永井家で介抱されますがその後、京都から列車に乗り、神戸港停留中の軍艦に帰還しますが、実は、この永井家をめぐってその後もいろいろな駆け引きが起こっているんです!

(事件発生直後、政府は記事の差し止めや発行停止など報道規制に躍起になります。そういう時代だったんですね)

 明治27・8年頃から皇太子を介抱した永井家へ来訪者(ロシア人・インド人・日本人通訳など)が増えます。神にも等しい皇太子の血が流れた土地、皇太子の命が助けられた場所、来訪者は現地の写真撮影や、介抱した時に血が付いたハンカチ・座布団など「紀念品」の見学をしていきます。

<その後>
  明治31年・・・この土地を京都教会堂三井某(牧師)が(ロシアの意向を受けて)
            「普通の価格の10倍の値段で買い取りたい」と申し出る・・・断る
  明治32年・・・大津町在住の6人から次々に買収の話が出る
            ・・・断る(「三井某ノ内意ヲ受ケント思フ」(内偵報告書より)
  明治32年・・・軍司令官ピーポスニコフ永井家訪問:同行した妻、牧師らとともに祈祷を行う
            ・・・「露国宗教本部ヲ建設セントノ計画有之」(内偵報告書より)・・・日本アセる!
  明治34年・・・ロシア士官バクビーテーフ永井家訪問:紀念品を閲覧し、血染めのハンカチに
            接吻! ・・・ここここれは・・・???!

明治という緊迫した国際情勢の中で、これらロシア側の動きに不穏なもの(裏工作?)を感じた日本は、それならばと「永井家の買収」に打って出ます。
 明治34年6月15日 河島滋賀県知事が東京出張
              →内務大臣と協議の結果、永井家土地家屋買収の方針が決定
              →北川良慎滋賀郡長が内意を受け、個人として売却の折衝にあたる
                  (政府が関係しているなんてロシアが知ったらそれこそ国際問題!)
       8月 9日 数度の交渉の末、買収決定
       8月10日 滋賀県と内務省の調整
                ①土地家屋は北川滋賀郡長の名義
                ②紀念品の県への献納とその厳封 など
       8月19日 永井長助から北川良慎に対する誓約書
       8月22日 北川良慎が念書作成
                ①滋賀県知事の内示により便宜上当該土地家屋の所有者となったこと
                ②一切の権利は滋賀県知事にあり異議を唱えないこと
                ③将来名義変更が必要となった時には何時でも無償で指示に従うこと
                      ・・・ちょっとよく考えればこれはかなり強引な念書です・・・
これで「永井家」は「北川滋賀郡長」のものとなります。

<さらにその後>
 明治44年5月10日 北川良慎から日本赤十字社に対し旧永井家土地家屋の寄附を申し出
       5月17日 日本赤十字社へ寄付物件を滋賀支部の建物として使用することの承認申請
       5月30日 日本赤十字社より滋賀支部長に対して寄附採納承諾書提出
               →以下の2つの条件文が明記される
                  ①土地家屋を他に転売しないこと
                  ②不要となった際には滋賀県庁に寄附すること(ここがミソ!)

こうして大津事件関係の物件は“公”のものとなり、約10年におよぶ滋賀県庁と内務省の連携によって周到に進められた政策は実を結んだのです。血染めのハンカチやサーベルは滋賀県指定文化財として現在は琵琶湖文化館に保管されています。

今回の講座ではその貴重な現物を間近に見せて頂きました。
証拠品は厳重に箱に収められ、「いつ誰が開封したのか」分かるように覚書きが何枚にも書かれていました。
 ●血染めのハンカチ:綿のかなり大判サイズ。血が変色してましたがかなり付着してました。
 ●座布団:やはり血の跡が・・・黒いシミに。
 ●サーベル:日本刀をサーベルに改良したもので、サビも付着。ずっしりと重い(らしい)

さらなる後日談ですが、以前、ロシアでニコライ皇帝一家と思われる遺骨が発見された折り、それが本物かどうか、DNA鑑定で調べるため、ハンカチの一部と座布団の綿をロシア係官が持ち帰ったそうです。あいにくDNAはすでに壊れていて、判定は無理だったそうですが、斜めに裁断されたハンカチは生々しく、まさに歴史を物語る生き証人でした。




現在は、大津市京町二丁目の辻に跡碑が建てられています
さて、次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「近江の観音-慈悲の仏-」と題し12月22日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。

  


湖東焼の魅力 満載

 「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第1回「湖東焼きの魅力」が、10月27日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。

湖東焼は、一般には江戸時代後期に近江・彦根城下で生まれたやきもののことを言いますが、特に彦根藩井伊家の御用窯として名をなした幕末の藩窯の時期にやかれたものを指して「湖東焼」と呼ぶことがあります。・・・「なんでも鑑?団」で高値が付くのはこれですかね?!

 湖東焼を始めたのは、古着、呉服を商う商人・絹屋半兵衛さん。商売で京都に出向くうち、京焼に興味を持ち→なんとか商売にならぬかと考え→たまたま肥前有田の職工と親しくなり→彦根の地で自分もやきものを始めよう!と決意したそうです。初窯は見事に失敗!しかし2度目には成功をし、製品を藩主に献納します。これがやがて藩主の目にとまり、藩の御用窯となって井伊直弼らの藩主の好みを反映した名品を多く生み出しました。直弼は自らも楽焼を作ったりするほど、やきものに対する思い入れは大変なもので、最良の原料や燃料を使わさせ、各地から優れた職人を招くなど、お金に糸目を付けずに湖東焼きの振興に力を注ぎました。(藩の財政は悪化)優れた絵師として有名な「幸斎(こうさい)」「鳴鳳(めいほう)」もこの時代に招かれ活躍した職人です。
 しかし、安政7年、桜田門外で直弼暗殺という悲劇が起こり、最大の擁護者を失った湖東焼の命運は衰退の一途を辿ります。民間に払い下げられてからもしばらくは操業されましたが、明治の中ごろには廃窯となり、湖東焼は「幻の名窯」と呼ばれるようになりました。

藩の目にとまり「献上品」として知名度も上がり脚光を浴びた湖東焼、藩の後押しを受けて更に発展、そして藩の衰退と共に廃れてしまった湖東焼。その存在は、時代に翻弄され、歴史を物語る証人としてこれからも残していって欲しい優れた名品です。

では、講座の様子を紹介しましょう。
素晴らしい作品を目の前に、参加者からは「ほぉ~」「まぁきれ~ぃ」など、感嘆の声が・・・中には「使ってみたい!」の一声も・・・(私の声です)

見事な染付の孔雀が描かれた四段重です。こんな素晴らしい器に入れたら、私の手作りおせち料理も高級料亭なみになるカモ?!・・・それはムリかも・・・

 あまりの細かな筆使いに「これは本当に人間が筆で描いてるの?」との質問も・・・

青磁に淡い染付のブルーがとても繊細な釣燈籠。あかりを灯してみたい衝動に駆られます。


作品の周りに人だかり、実物を間近にみなさん目は真剣です。


「献上品」として江戸幕府に贈られた湖東焼。そのほとんどは関東大震災によって失われたそうです。作られていた期間も短く、現在残る数も少ないとなれば更に「希少性」がアップ!・・・どうです?!骨董市を覗いてみたくなりましたか?しかーし!人気のある優れた作品、故に贋物も多く出回ってますのでご注意下さいね。

次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「大津事件-事件とその後の顛末-」と題し11月24日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。