湖東焼の魅力 満載

 「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第1回「湖東焼きの魅力」が、10月27日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。

湖東焼は、一般には江戸時代後期に近江・彦根城下で生まれたやきもののことを言いますが、特に彦根藩井伊家の御用窯として名をなした幕末の藩窯の時期にやかれたものを指して「湖東焼」と呼ぶことがあります。・・・「なんでも鑑?団」で高値が付くのはこれですかね?!

 湖東焼を始めたのは、古着、呉服を商う商人・絹屋半兵衛さん。商売で京都に出向くうち、京焼に興味を持ち→なんとか商売にならぬかと考え→たまたま肥前有田の職工と親しくなり→彦根の地で自分もやきものを始めよう!と決意したそうです。初窯は見事に失敗!しかし2度目には成功をし、製品を藩主に献納します。これがやがて藩主の目にとまり、藩の御用窯となって井伊直弼らの藩主の好みを反映した名品を多く生み出しました。直弼は自らも楽焼を作ったりするほど、やきものに対する思い入れは大変なもので、最良の原料や燃料を使わさせ、各地から優れた職人を招くなど、お金に糸目を付けずに湖東焼きの振興に力を注ぎました。(藩の財政は悪化)優れた絵師として有名な「幸斎(こうさい)」「鳴鳳(めいほう)」もこの時代に招かれ活躍した職人です。
 しかし、安政7年、桜田門外で直弼暗殺という悲劇が起こり、最大の擁護者を失った湖東焼の命運は衰退の一途を辿ります。民間に払い下げられてからもしばらくは操業されましたが、明治の中ごろには廃窯となり、湖東焼は「幻の名窯」と呼ばれるようになりました。

藩の目にとまり「献上品」として知名度も上がり脚光を浴びた湖東焼、藩の後押しを受けて更に発展、そして藩の衰退と共に廃れてしまった湖東焼。その存在は、時代に翻弄され、歴史を物語る証人としてこれからも残していって欲しい優れた名品です。

では、講座の様子を紹介しましょう。
素晴らしい作品を目の前に、参加者からは「ほぉ~」「まぁきれ~ぃ」など、感嘆の声が・・・中には「使ってみたい!」の一声も・・・(私の声です)

見事な染付の孔雀が描かれた四段重です。こんな素晴らしい器に入れたら、私の手作りおせち料理も高級料亭なみになるカモ?!・・・それはムリかも・・・

 あまりの細かな筆使いに「これは本当に人間が筆で描いてるの?」との質問も・・・

青磁に淡い染付のブルーがとても繊細な釣燈籠。あかりを灯してみたい衝動に駆られます。


作品の周りに人だかり、実物を間近にみなさん目は真剣です。


「献上品」として江戸幕府に贈られた湖東焼。そのほとんどは関東大震災によって失われたそうです。作られていた期間も短く、現在残る数も少ないとなれば更に「希少性」がアップ!・・・どうです?!骨董市を覗いてみたくなりましたか?しかーし!人気のある優れた作品、故に贋物も多く出回ってますのでご注意下さいね。

次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「大津事件-事件とその後の顛末-」と題し11月24日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。