大津事件っっっ!

大津事件っっっ!
「実物を目の前に学芸員が詳しく解説」する「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」第2回「大津事件-事件とその後の顛末-」が、11月24日(土)に滋賀県立琵琶湖文化館にて開催されました。
「大津事件」・・・社会の教科書で習ったような・・・気もする?!という曖昧な記憶の方に!ヒント!

大津事件っっっ!

 さぁ、どうです?この顔に見覚えありませんか?

 最大ヒント:サーベル

事件は、明治24年(1891)5月11日、ロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、日本を私的に遊覧旅行していた時に、大津で起きました。
大津事件っっっ!警備中の巡査津田三蔵ニコライサーベルで斬りかかり右のこめかみ2ヶ所に傷を負わせます。




<ニコライ歓迎の様子>
その場で捕らえられた三蔵は、滋賀県監獄所に収監されますが、裁判の結果、無期徒刑となり釧路集治鑑に送られ肺炎で死亡します。故郷の伊賀上野には三蔵のお墓がその身を憚るように小さく立てられています。
(裁判は大審院院長児島惟謙が、三蔵の極刑を望んだ政府の圧力に抗して、裁判の独立を守ったことで有名です)

 傷を受けたニコライは、近くの呉服屋永井家で介抱されますがその後、京都から列車に乗り、神戸港停留中の軍艦に帰還しますが、実は、この永井家をめぐってその後もいろいろな駆け引きが起こっているんです!

(事件発生直後、政府は記事の差し止めや発行停止など報道規制に躍起になります。そういう時代だったんですね)

 明治27・8年頃から皇太子を介抱した永井家へ来訪者(ロシア人・インド人・日本人通訳など)が増えます。神にも等しい皇太子の血が流れた土地、皇太子の命が助けられた場所、来訪者は現地の写真撮影や、介抱した時に血が付いたハンカチ・座布団など「紀念品」の見学をしていきます。

<その後>
  明治31年・・・この土地を京都教会堂三井某(牧師)が(ロシアの意向を受けて)
            「普通の価格の10倍の値段で買い取りたい」と申し出る・・・断る
  明治32年・・・大津町在住の6人から次々に買収の話が出る
            ・・・断る(「三井某ノ内意ヲ受ケント思フ」(内偵報告書より)
  明治32年・・・軍司令官ピーポスニコフ永井家訪問:同行した妻、牧師らとともに祈祷を行う
            ・・・「露国宗教本部ヲ建設セントノ計画有之」(内偵報告書より)・・・日本アセる!
  明治34年・・・ロシア士官バクビーテーフ永井家訪問:紀念品を閲覧し、血染めのハンカチに
            接吻! ・・・ここここれは・・・???!

明治という緊迫した国際情勢の中で、これらロシア側の動きに不穏なもの(裏工作?)を感じた日本は、それならばと「永井家の買収」に打って出ます。
 明治34年6月15日 河島滋賀県知事が東京出張
              →内務大臣と協議の結果、永井家土地家屋買収の方針が決定
              →北川良慎滋賀郡長が内意を受け、個人として売却の折衝にあたる
                  (政府が関係しているなんてロシアが知ったらそれこそ国際問題!)
       8月 9日 数度の交渉の末、買収決定
       8月10日 滋賀県と内務省の調整
                ①土地家屋は北川滋賀郡長の名義
                ②紀念品の県への献納とその厳封 など
       8月19日 永井長助から北川良慎に対する誓約書
       8月22日 北川良慎が念書作成
                ①滋賀県知事の内示により便宜上当該土地家屋の所有者となったこと
                ②一切の権利は滋賀県知事にあり異議を唱えないこと
                ③将来名義変更が必要となった時には何時でも無償で指示に従うこと
                      ・・・ちょっとよく考えればこれはかなり強引な念書です・・・
これで「永井家」は「北川滋賀郡長」のものとなります。

<さらにその後>
 明治44年5月10日 北川良慎から日本赤十字社に対し旧永井家土地家屋の寄附を申し出
       5月17日 日本赤十字社へ寄付物件を滋賀支部の建物として使用することの承認申請
       5月30日 日本赤十字社より滋賀支部長に対して寄附採納承諾書提出
               →以下の2つの条件文が明記される
                  ①土地家屋を他に転売しないこと
                  ②不要となった際には滋賀県庁に寄附すること(ここがミソ!)

こうして大津事件関係の物件は“公”のものとなり、約10年におよぶ滋賀県庁と内務省の連携によって周到に進められた政策は実を結んだのです。血染めのハンカチやサーベルは滋賀県指定文化財として現在は琵琶湖文化館に保管されています。

今回の講座ではその貴重な現物を間近に見せて頂きました。
大津事件っっっ!証拠品は厳重に箱に収められ、「いつ誰が開封したのか」分かるように覚書きが何枚にも書かれていました。
 ●血染めのハンカチ:綿のかなり大判サイズ。血が変色してましたがかなり付着してました。
 ●座布団:やはり血の跡が・・・黒いシミに。
 ●サーベル:日本刀をサーベルに改良したもので、サビも付着。ずっしりと重い(らしい)

さらなる後日談ですが、以前、ロシアでニコライ皇帝一家と思われる遺骨が発見された折り、それが本物かどうか、DNA鑑定で調べるため、ハンカチの一部と座布団の綿をロシア係官が持ち帰ったそうです。あいにくDNAはすでに壊れていて、判定は無理だったそうですが、斜めに裁断されたハンカチは生々しく、まさに歴史を物語る生き証人でした。

大津事件っっっ!


現在は、大津市京町二丁目の辻に跡碑が建てられています大津事件っっっ!
さて、次回の「浮城特別鑑賞講座 湖国“モノ”語り」「近江の観音-慈悲の仏-」と題し12月22日(土)に開催されます。やはり実物を目の前にできるこの講座は魅力大!関連資料を目の前に、学芸員による詳しい解説が聞けますので、是非参加してみてはいかがでしょうか。詳しくは滋賀県立琵琶湖文化館TEL:077-522-8179まで。




Posted by 滋賀の文化財 at ◆2007年12月07日17:59
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